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神のみ・サンデーの感想ブログ。こっちはまじめ。
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神のみぞ知るセカイを人生の主軸、少年サンデーとアニメを人生の原動力としている人。
絵やSSもたまに書きますが、これは人生の潤滑油です。つまり、よくスベる。

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神のみぞ知るセカイに登場するヒロイン、生駒みなみの夏を描いたSSです。
一応、原作のみなみ編を【再読推奨】ということで……目に通す、もしくは頭の中で思い出してみてください。えー手元にないよーという方もお気軽にどうぞ。
みなみに恋するお話です。
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なつのまぼろし【前編】
せまいうみ


七月。
夏が始まりかけたその日。
何の変哲もなかったその日。
少しずつ動いていく世界をぼんやりと眺め、遷移していく日常を寝転がった背中で感じながら、その日も時は流れていった。波のようにゆらゆらと、あてもなく、それでも退屈にならないくらいに―――揺れ続けていた。しかしその日常に、大きな異変が訪れることはなかった。波が来ているのだから海なのだろうけれど、僕がいるそこは、どうしようもないくらい狭い海だったからだ。開拓する力もない、権利もない、方法も知らない。平等に広がる空だけを見上げて、今日もゆっくりと世界の波に揺られている僕にとって、漫画でよくあるフィクションストーリーなど、起きるはずもなかった。空から女の子?落ちてくるか、そんなもの。
それでも。
僕の日々は平穏とは程遠いものだった。波の小ささなど、海の狭さなど微塵の意味も成さないような用件が、頭の中をいつも占領していたからだ。不条理を投げつけてくる大人でも、強引極まりない世界でもなく、心を蝕み続けてくるもの。
掴んで離さないもの。
それに僕は手を焼いているのだ。
その一番の要因は、幸か不幸かが不鮮明だということだろう。その事件は精神をグラグラと揺らし、心を傷つけてくるやっかいなものだった。しかし人はそれを尊重し、崇め、欲する。そこには尊い奇跡が存在し、誰もがそれを求めるからだ。
ふざけるなと。
言いたい。
当の本人である僕は、こうして胸が痛いだけなのだから。
焼けるように痛いだけなのだから。
夏の日差しのせいかもしれない。

そう思っていた今年の夏、僕は見た。誰もが崇める奇跡に近いものを間近で感じ取った。幸か不幸かは分からない。それでもただ一つ言えることは、この夏は僕にとって、忘れられない夏になるだろうということだけだ。
片想い。
片想いの話をしよう。
夏の日差しの照り返しなのか、水面に映った何かなのかは分からない。しかし僕は確かに手に取り、それを見たのだ。
あの日の。
夏の幻を。



「こうとしかならない」


七月が始まりを告げたその日、僕は、女子更衣室の中にいた。おっと―――言うまでもないが変態ではない。かといって今時流行りの男装女子でもボクッ娘でもない。ただ、連絡用紙を掲示しに来ただけなのだ。
当然、他に人はいない。このまま穴の開いたダンボールに隠れるつもりでもない。そして何より、別段心を躍らせているわけでもない。舞島学園中等部の水泳部副長として課せられた、いつもの責務を果たしているだけなのだ。
「舞島学園中等部水泳部 県体育大会出場メンバー表」
 セロハンテープで四隅を窓に貼り付けながら、僕はその表に目をやる。七月の中旬にある水泳大会のメンバー表であり、定期的に測定したタイムを基準として水泳部顧問が決定した「レギュラー」、そしてその「補欠」が綺麗に整列された状態で印字されていた。
 女子の更衣室に貼ってはあるものの、男女共の選抜結果が掲載されていて、僕は自分の名前を目で追って改めてため息を吐いた。
 第三補欠。
 まあ、分かっていたことだけども。
 副部長という役職に就いてはいるが、実力は見事に伴っていない。部長というものは実力やセンス、人としての魅力も含めて選ばれるものだが、副部長なんてのはもはや、ヒマな人間に与えられる役職だ。現に副部長の僕は、雑務を担当されたりして、どちらかというとマネージャーに近い存在である。ま、バカにされたりすることは全くないから、居心地はすごくいいのだけど。
 才能ほしいなあと。思ったりもする。
 しかし、テンションが下がることばかりではなかった。紙の下方に目をやると、そこには上方の男子と同じパターンで女子の結果が掲載されている。僕の名前が乗っている100mFrの第三補欠……そことまったく同じ役職に選ばれた人の名前を見て、僕は子供のように純粋な目をして笑みをこぼした。
 生駒みなみ。
 そこにはそう書かれていた。
 ……だからといって、なにがどうということもない。イベントが発生するわけでもない。それでも僕は、自分と生駒が同じ縦線でつなげることができるというこの状況に、意味もなく喜んでしまうのだ。分かりやすく言えば、席替えをして席が隣になった……の1レベル低下したバージョンのようなもの。誕生日が同じだった、みたいな。
 一方的に、運命を感じてしまうのである。
 分かっている。子供っぽいということは分かっていても、僕にとっては子供に逆戻りしてもいいくらいの幸せな出来事だったのだ。この用紙は余計にコピーして、部屋の机の前に貼っておこう。そうしよう。
 僕が首をひねって紙が斜めに貼り付けられていないかを確認していると、突然女子更衣室のドアが開く音がした。僕は一瞬で身を翻し、身構える。変態じゃないですよ副部長ですよ、と言う準備はすでにできていた。
 開いたドアから、二人の人影が足を踏み入れてくる。僕は何かを言われるよりも先に反抗した。
「ごめんなさい……」
 謝っていた。
 堅実かもしれない。
 両手を挙げて降参体勢の僕を見て、入ってきた女子は怪訝そうな表情をした。改めて見てみると、なんだ、斉藤か。
「なにやってんだー、お前」
「なにって、副部長の仕事だよ。メンバー表、発表になったから」
「おーホントだホントだ!」
 そう言って、斉藤は僕の横を通って張り出された紙を目を細めながら眺めた。
「だぁーやっぱり代表はコバかぁーくそー!なんだあいつ!」
「なんだってなんだよ」
「二年のくせに1ブレ代表とかどういうことだ!副部長の圧力でなんとならんのか!」
「無茶言うな。そんな権限あるもんか」
「使えん副部長だな。それでも副部長か!」
「面白いな、その言葉の流れ。はは」
 斉藤をあしらいながらそそくさと更衣室から出ようとして、出ようとしたかのように見せかけて、何気なさを装いながら僕は斉藤に問いかけた。
「そういえば……いつもの二人はどうしたんだ?」
 斉藤は紙とにらめっこをしながら答える。
「あっこは朝練サボりー」
「あー……あと一人、そう、生駒、は?」
「みなみ?みなみはバス通学だからなー、またいつもより一本遅く来てるんじゃねー?髪の毛セットするのが大変だーって言ってたし」
「髪の毛……」
「そ。みなみの髪の毛すごい反抗期だからさー大変なんだってー。どうせ朝練でプール入るんだから気にする必要ないっつーのに」
「まあ、確かに、今のままでも……」
 う。
 口がすべった。なんとか声の大きさを尻すぼみにする。
「なんだよ副部長、みなみのこと好きなの?」
「……はぁっ!?」
 声を裏返しながら僕は驚く。というかおののく。なんだこいつはなにを言ってるんだ、どうしてそういう話に行く。エスパーか?こんなパッとしない口悪女がエスパーか?エスパー斉藤か?
 とりあえず僕は、なるべく大げさにならないように、平然を装いながら対応する。
「なに言ってんだよ、アホか」
 斉藤はにやにやしながらこちらを振り向く。
「じょーだんだよ。みなみ関連のそんな浮いた話って聞いたことないし!だいいち、副部長こそ、そういう話に縁なさそーだしさ。興味ねーだろ、恋とか」
「……言うまでもなく、花を見るなら団子を食うよ」
 僕は唇をひん曲げながら言った。
 団子を食うくらいなら、生駒を見るよ。
 そう心に思いながら、もう一度、斉藤がエスパーでないことを祈る。心を読むなよ。どうせならテレポーテーションとかにしておいてくれ。
 エスパー斉藤の存在に恐怖した僕は、そこで会話を切り上げて更衣室を出た。変なことを喋ってしまいそうだったからだ。



 それにしても。
 バレるかと思った……自分の思いが。生駒への思いが。この事実は僕以外の誰も知らない、北極に住む謎のUMAよりも機密を保持しなければいけないことなのだ。誰にも話したことはないし、誰に話すつもりもない。ましてや相手があの斉藤だなんて言語道断だ。一日もしないうちに、舞島学園全体にその噂は広がることだろう。恐ろしい。
 しかし。
 どうせ告白する勇気がないのだから、いっそそのような噂が流れてくれれば、事態はもっと進展するかもしれない。「もっと」という言葉を使っていいのかどうかは分からないが。そういう噂が流れれば、もしかしたら生駒も僕のことを少しずつ意識し始めるかもしれない可能性は捨てきれないのだから。
 と、思うが、そんなふうに割り切って考えられる人間だとすれば、おそらくもう既に告白しているのだろう。
 生駒、
 お前が好きだと。
 僕は廊下で突っ伏した。
 無理無理無理無理。
 想像しただけで吐き気がして、足に力が入らなくなる。とんだチキン野郎だとも思わなくもないけれど、それでも体は正直だった。告白なんてできない。玉砕でもしてみろ、もうこれからは、遠くから生駒を眺めていることだってできない。
 だったら今のままでいい。
 そう思うのは決して変なことではないはずだ。
 知っている―――これが叶わない恋だということは、十二分に知っているのだ。世界はそう簡単に奇跡が舞い降りてきたりはしない。こんなどこかの片隅で生まれた小さな片想いは、ゆっくりといつのまにか消えていくのだろう。それで構わない。消えてしまったあとに、瞳を閉じた奥で生駒の姿を綺麗に残せるのなら。わざわざ玉砕なんてできるはずもない。奇跡ってのは期待していたって無駄なものであり、偶然降り注ぐものなのだ。羽根が生えるのを期待して、なんの装備もせずに高いところからジャンプするやつはいない。
 だから僕は思っていた。
 今のままでいいんだと。
 まるで納得させるかのように―――分かっていた、「これでいい」というのは自己防衛で、
 本当は「こうとしかならない」ということを。
 生駒の心は手に入らない。だったら潔く、こっちから諦める。それが僕に残された最後のプライドのようなものだった。
 そうしていれば。
 このチクチクとした痛みが、広がることもないのだから。


「つないでいたいもの」


 生駒みなみの浮いた話は聞いたことがない、と斉藤は言った。
 確かにそれは僕も同じだった。中学三年生ともなれば、様々な場所で様々な人から色恋の話は湧き出てくる。誰がかわいいだの、誰に彼氏がいるだの、そういう話も日常の中を飛び回って止むことはない。しかし僕はその話の中に、生駒みなみという声を聞いたことはなかった。
 喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか。
 隣の男子が、生駒のことを見て他の女子と査定したりすれば、僕としては非常に胸糞悪い。悪いのだが、そういう話をされているのを見たことがないというのも、一方で、中々に複雑な感情なのだ。
 生駒はかわいい。
 と、思う。
 人の良さをポイントとして表せない以上、どうしたって自分の先入観、固定観念、贔屓目が入ることは否定できない。それでも生駒は、単純に顔を見たところで、どこに文句のつけようもないと思うのだ。ただちょっと地味なだけで。
 確かに、人の前に率先して立つ人でも、何かに干渉する人でもない。斉藤の言っていたとおりに髪型もクセの強いショートカットだし、スタイルが特段にいいわけでもないだろう。しかしそうではない。そうではなくて―――ポイントに表せない世の中なら、判断するためにはどれだけ輝いているかが大切なように―――生駒には青く燦々と輝く光がある。僕はそれを知っている。見つけにくいだけで、目をこらせばそこにある。一瞬で心を魅了する煌きが、そこには、ある。
 とは言っても当然のごとく、見つけてほしくないというのは僕の正直な思いだった。学年1のイケメンや実績を残したキャプテンなどという、軟派な男(決め付けられる理屈は特にない)が生駒に近づいて惑わすくらいならば、今のままでいいと感じたからだ。生駒の蒼い輝きは、校舎の端のプールに沈んだ状態で、僕だけが知っていたかった。傲慢で自分勝手でいい迷惑だとしても、そう思っていた。醜くて恥ずかしくても、つないでいたいものがあるからだ。


 大会のメンバー表が発表された時点で、代表以外の選手は実質的にその年の夏が終わったことになる。補欠の選手に出番がまわってきているのは、今まで水泳をやってきても一度も見たことがない。同じ部活の友人も、代表以外のメンバーは既に気分を切り替えているようだった。
 どこで遊ぼう。
 なにをしよう。
 一応その軍団に誘われはしたが、代表でなくとも僕は副部長だ。部長が代表選手で忙しい以上、これまでよりも仕事は多くなるだろう。
 放課後。
それぞれの生徒がそれぞれの方向へ進むのをぼんやりと見つめながら、僕はいつもと同じように荷物を抱え、いつもと同じようにプールへと向かった。
 そうか。
 もう、夏は終わったのか。

 実感はなかった。あまりにもあっけないものだったからかもしれない。よくドキュメンタリで見る高校野球のような、監督から直にレギュラーメンバーが呼ばれるわけでもなく、紙を掲示しての発表。冷めてるなあ。ま、分かっていたことなのだけれど―――今回の夏の大会における出場者は、春に行われた大会とまったく同じメンツだった。
 他の部活もそうなのだろう、玄関へ向かう生徒がいつもより圧倒的に多い中を、ゆっくり掻き分けながら進む。みんなもう切り替えている。では自分自身はどうなんだ、と問いかけても、僕は唸ることしかできなかった。でも多分僕は、切り替えることができずにいるのだと思う……今こうしてプールに向かっているのがその証拠だ。足取りは軽く。心は跳ねて。そう、生駒みなみにまた会える可能性が―――
 あ。
 そこまで辿って、ふと気がついた。
 生駒も補欠じゃん。
 プールへ向かう足取りが一瞬で重くなった。重力が余計にかかっているかのように、僕の足はゾウのごときスピードに変化する。
 生駒……
 プール行っても、いないかもしれない。
 ああ……
 夏が終わった……
 僕は自分の夏の終わりを、開放感の裏側にある寂しさとくすぶる悲しさを、ようやくそのとき理解した。グッバイ、サマー。


 僕は気を取り返しながら足を進めた。
 見れないといっても、もともと舞島学園のプールは男女完全隔離型である。新入生は特に勘違いしがちだが、そういう仕組みでできているため、女子の水着が拝める!という目論見をもって入部しても痛い目を見るだけである。が、部員人数を集めるために、この事実は説明会や仮入部期間には隠匿される可能性が高い。おかげで水泳部はなかなか人数の多い大所帯な部活なのだが、戦力を決めるにおいては窓口が広いに越したことはないのだ。ちなみに僕は幼い頃から親にスイミングスクールに通わされていたのが根本的な要因であり、決して下心などはない。リアルなことを言えば、特筆できる特技がそれしかないだけなのだが。
舞島学園には大プールと小プールがあり、男女で交互に利用する。更衣室の関係でプールどうしは近くにあるものの、人の行き来は基本的に行われない。事務的な用件があれば話は別だが。
したがって、もとより生駒の水着姿を堪能することなどはできていないのだが、あいにく今週は中等部男子副部長が鍵当番であり、その職権を駆使すれば女子側のプールに入ることも可能なのである。そのため、今日は大プールで生駒の水着姿を久々に眺めることができるかなと思っていたのだが。
 無理だった。
 帰ろうかな……。
 この前家族で蕎麦を食べに行ったとき、でかいポスターで「店長オススメ!舞島肉トンカツ」と貼りだされており、それを見た父親が家族全員でこのトンカツを食べよう!と即決したときの感覚に似ている。うまいかどうかというよりも、今日、自分は蕎麦を食べに来たのだ。それなのにいつのまにかトンカツに摩り替わっていて、料理が運ばれて来るまでの時間、僕は悶々としながら過ごすこととなった。
 トンカツよりオススメされない蕎麦のように、僕が生駒を見つめることもまた、世界における価値は低いものなのだ。なんというか、非生産的というか。笛が鳴って競技が終わったあとなのに、籠に向けて玉入れをしているかのような感覚。ザルに水を通しているかのような感覚。文字の書いていないところで消しゴムを擦っているかのような、どうしようもない「どうしようもなさ」を含んでいることは充分承知のうえではある。
 片想いに生産性はない。
 両想いにならなければ、なにも。
 だったら僕は家に帰って、きゅうりを塩につけて夕飯の足しにしたほうがまだマシというものだ。ああ、なんかどんどん思考がマイナスになる。ゾウのスピードで歩くこの歩みが、ついに重ささえなくしてしまうのと、挙句の果てにターンしてしまうのとでは、果たしてどちらが早いだろうか。


 肩を落としてとぼとぼ歩いていると、ふと三年C組の前で足が止まった。C組……生駒のクラスだ。ちょっと中を覗こうとすると、深追いするまでもなく、窓際の席に座って話している斉藤たちの姿が見えた。
「……何やってんだ」
 よく見ると、いつもの三人組かと思っていたが一人足りない。その輪の中に、生駒の姿が見当たらなかった。適当な口実を考えながら、僕は二人に話しかけた。斉藤が「んあー?」といったような雑な返答をする。
「あれ、副部長じゃん」
 斉藤の反応に乗じて、隣に座っていたあっこもこちらにひらひらと手を振った。
「どうしたのー?」
 ……この二人も、そういえば補欠だった。電車の乗り換えがスムーズで羨ましいねぇ。
「それはこっちのセリフですよ、アッコさん」
「人を大物歌手みたいに言わないでよー」
 僕は二人が肩を寄せて読んでいた本を取り上げる。眉をひそめてその本の表紙を確認すると、「舞高騎士団名簿」と書かれていた。
「名簿と書いてファイルと読みます」
 アッコさんは自慢げに誤読修正をしているが、なるほどどうでもいい。そして何より、嫌な予感しかしない。……僕は本、というかファイルをぺらぺらとめくり中身を確認すると、そこにはかっこいい男の写真が、名前や特徴などのパラメータとともに羅列されていた。なるほどどうでも……よくない。
「舞高のいい男を網羅してるんだって!」
「うちとあっこで手に入れたんだぜー」
「嫌がらせか!そうなんだな!」
 僕はファイルを押し返した。ここには社会の縮図とも言うべき世界が展開され、確固たる格差が存在している。さっき人が「人をポイントで評価できない」と言っていたにも関わらず、このファイルでは男子がイケメンごとにパラメータ付きで掲載されている。これはひどい。これが卒業アルバムの後ろに付属されてみろ、ほとんどの男子は丁寧に折り目をつけて、引きちぎって新聞とともに紐で束ねて捨てるに違いない。
四捨五入で人は殺せるのだ。
精神的には。
「み……見るなぁ!惨めなものを見る目でこっちを見るなぁ!」
 いたたまれないよ!
 逃げ出したいよ!
「なに言ってんだよー副部長ー、あんただって載ってるから!ほら、運動部(下)のとこ!」
 斉藤がページを探して、僕の眼前につきたてた。そこには名前と簡易ステータスのようなものが並べられており、目で追っていくと、確かにそこには僕の名前があった。
 しかし。
 運動部(中)や(上)と比べると、明らかに紹介が簡易的だ。そもそも写真とかないし。名前だけだし。いかにもその他大勢みたいな感じで、もうなんか、軽くトラウマになりそうなんだが。
「なに言ってるの、ここに載ってるだけマシだよ!スルーされてる人が大多数なんだから!」
「あ、そう……とりあえず、ありがとう」
 ううん、そういうのはやはり女子の間だけでやってほしいものだ。
「副部長、顔だけ見ればなかなかだもん!」
「まったく嬉しくない褒め方だな……」
「確かにあっこの言うとおりかも。んーとねー、副部長はやっぱりパッとしないのがいけないんじゃないかね。素材はいいと思う」
「何様なんだお前は……!」
 お前だってパッとしないだろ!
 とは言わないけれど。まあ生駒の隣にいる女子なら、誰でも地味子に早変わりしてしまうのは当然の話ではあるが。
「というか二人とも、もう練習行かないのか?」
 話を切り替えたい僕が出した問いに、斉藤が手をヒラヒラさせながら答える。
「あー、うちらはもうイイや。引退宣言させて。第二第三補欠なんて、絶対出番ないしね。迫り繰る夏への準備で忙しいから!」
 アッコさんもそれに同調する。
「そうそう。副部長さんは大変だね」
「まあ、雑用係だから。ずうずしくプールの一角を占領できないから、もう泳がないだろうけど」
「だよねー」
 再びファイルを開き、運動部(上)の男子たちをあれだこれだと指差し始める二人を見ているのは精神的にキツイものがあるので、僕はとっとと本題に入る。
「で、さ、あの、生駒、は……?」
 さらっと。
 意図したところなど何もないように、まるで空気が通り過ぎていったかのような声のトーンで、僕は生駒の消息を問う。空気が通り過ぎたにしては不思議そうな顔をする二人だが、やがて口を開いた。
「みなみ?なんか、先に帰ったけど」
 帰った。
 …………そうか。
 生駒、帰ったのか。
「……これ、朝にも聞いたやつだな。ごめん。じゃあ、また」
「じゃねー」
「目指せ運動部(中)!」
 最後の言葉に心を抉られながらも、僕はゆっくり歩きだした。ちょっと、期待してしまっていたかもしれない。生駒ならもしかしたら、練習しに来ているかもしれないと。やっぱりダメだな。根拠のない希望は、強引な我侭でしかない。僕は前を向いて歩く。それでもまだ心のどこかで、夏が続いていることを信じていたけれど。



「ごまかしきれてない」


 結局その日、僕は一度もプールで泳ぐことなく部活を終えた。代表メンバーのタイムを計り、顧問と打ち合わせをし、今後の日程を決める。大会が終わったあとに行われる祝賀会の準備も、もう考えておかなければいけない時期だ。
 雑務をこなす僕の頭の中では、いつまでも、生駒の存在がぐるぐると回っていた。それをぼんやりと認識している僕は、気づいていたのかもしれない。
 このまま。
 何事もなく終わっていくのだと。
 そう気づいて、僕は、どうすればいいのか分からなかった。泣くべきなのか怒るべきなのか、落ち込むべきなのか奮起するべきなのか。
 このまま。
 太陽のようにゆっくりと移動して、地球の裏側に隠れてしまう、そういうものだと、言い聞かせるべきなのか。

 部活の時間が終了し、僕は最後に一人で施錠の確認をしていた。「鍵当番」という名の通りの仕事で、窓やプール、更衣室など、いたるところを調べる。なかなか重労働だが、日が沈んで暗い室内を一人で練り歩くというのはスリルがあって面白い。
 男子が使っていた小プールを確認し終えた僕は、更衣室側の通路を使って大プールへと向かおうとした。この時間と静けさなら、もう女子のほうも活動を終えているだろう。そう思って大プールの入り口に近づくと、
 いた。
 入り口の奥に一人、人影が見えたのだ。
 誰もいないはず、電気もついていないプールに、なにやら女性と思しき人が立っている。その人はぴくりとも動かず、こちらに背を向けていた。僕は「ひいっ」という情けない声をあげそうになるものの、なんとかそれを制止する。というか、出なかった。声が。
 ゆ、幽霊?
 見てしまった見てしまった。
 逃げるべきかとも思ったが、ここで動いたら逆に補足されそうな気がする。プール館から出るまでの暗く長い廊下は、まさにホラー映画を撮影するのにとても丁度いいようなロケーションである。
 僕が走馬灯の準備をし始めていると、その幽霊は体を揺らしこちらを振り向いて、呆けたような声で言った。
「副部長さん……?」
 僕の役職を。
「ひいっ」
 情けない声を、僕は結局あげるはめになった。その声、そしてプールの天井から差す月光が雲を裂いてきたおかげで、その幽霊を認識することができたからだ。
 生駒みなみ。
 そこにいたのは他の誰でもない、生駒だった。
 ひいっ、と。
 僕は幽霊よりも恐ろしいものと遭遇してしまった。
「な、なにやってるんだよ、生駒」
 僕の脈拍が崩れる。不安定なまま脈打ち、これまでゆらゆらとしていた世界の水面も一気に荒れだす。
 お、落ち着け。とりあえず落ち着け。僕は別に女性恐怖症というわけでも生駒みなみ恐怖症というわけでもない、平然と接するんだ。話したことがないわけでもないし、向こうもこっちのことは知っているのだから、あくまでも普通に……普通に……。
 僕が深呼吸をしているうちにも、みなみはちらちらとプールの方を気にかけている。
 生駒は時間をおいて、僕の問いに答えた。
「プールで、泳いでる人が……」
「泳いでる人?こんな時間に?」
 生駒と会話している……なんとか緩みそうな口元を押さえ、キリッとした表情を心がけながら僕は生駒の横に立った。
 生駒の指差したあたりを見渡すが、それらしき人影は見あたらない。もしや幽霊を見たのは僕ではなく、生駒だったのだろうか。どちらにせよ、プールでそういう話はぞっとする。
 僕は生駒のほうを振り向いて、もう一度状況を確認しようとした。
 …………。
 生駒の髪の毛、いいにおいするな……。
 その瞬間、僕は額をプールの床にたたきつけた。
 そうじゃない、そうじゃないそうじゃない!そんなことは思って……いや、思ったけど、でもあれだ、女の子のにおいに感動するというのは決して歪んだ行為ではないだろう、そうだ花だ、女性は花なのだから、花のにおいに感動するというのは決して歪んだ行為ではない。
 証明終了。
 僕は自分を赦した。
「……見間違いとかじゃないのか?」
「でも、確かに誰かがいた、ような」
 未だに地に足が着いていないような表情を浮かべる生駒を見る限り、冗談ではないようだった。プールに近寄って水面を見つめると、確かに、誰かが入ったかのように強く表面が揺れていた。周りには誰もいないし、水面に落ちるような何かもない。
 夏の怪奇現象……。
 僕は生駒になんと声をかけるべきかを迷ったが、とりあえず、プールから外に出ようと提案した。プールは電気をつけてみても姿は見えないし、さっき施錠したおかげで、僕たちがいる入り口からしか出入りはできない状態だった。幽霊だったり、テレポーターだったり、超常のなにかを持っていれば話は別だが。
 どっちにしろ、ここに長居するべきではない。生駒の忘れ物を回収し終えると、僕たちは早足でプールから出た。


 プールのある体育館から出ると、外はところどころの街灯の光を残して、あとは世界中が静まりかえっているかのような静寂に包まれていた。外で運動する部活はすべて活動を終えており、体育館より外は本当に、何もなかった。
 こんな状況で、隣に生駒がいるとなれば。
 正直に言おう。
 僕は、逃げ出したかった。
「もう暗いね……」
 そんなことを、生駒は話しかけてくる。なんかこれもう、傍から見たら普通に彼氏彼女に見えるんじゃないかな!たとえ違うとしても、そういうふうに見えてもおかしくない状況なのは確かだ。つまり、半付き合い状態ということでいいんじゃないだろうか。というところまで思考が行き着いて、ふと思う。それはよくある片想いだ。いや、でも、それでもいい。
 ここはアピールチャンスだ。
 星の少ない空を見上げている生駒に、僕は緊張しながらも返答をする。
「ああ、暗いな」
「…………」
「…………」
 僕は言いながら後悔していた。もはやそれは後悔というか同悔みたいなものなのだが、うん、話が続かない。
 もちろん、続ける気はある。落ち着け自分。今日の昼間に斉藤たちと話していたときのように、なにを意識することもなく話せばいいんだよ!
 緊張のせいか、舌が回らない……というより、何かヘタなことを言って生駒からの好感度が下がるのを恐れているのかもしれなかった。ダメだダメだ、盛り上げないと、いっぱい喋らないと。こんなチャンス、これからもあるかどうか分からないのだから。
「副部長さんっ」
「は、はいい!」
 やたら振動してしまう。
「あの、さっきの人の話、なんだけど……ゆ、幽霊だったのかな、確かに妖しいって感じだったんだけど」
「妖しい?怪しいじゃなくて?」
「うん……綺麗、だったから」
 僕は、言って空を見上げた生駒の横顔を見て、うまく言えないような感情に包まれた。どこか遠くを見つめる生駒の瞳はすごく綺麗で、儚そうな輝きに満ちている。
 儚そうな。
 これは嫉妬なのかもしれない。胸の中によぎる不安感は、プールに現れた幽霊へと向けられた焼餅なのだろう。生駒の胸に抱きついてくる犬を見ても、僕はきっと同じ感情を抱えるはずなのだ―――いや、そこを代わってくれ、と思うかもしれないが。
「幽霊か、幻覚か、だろうな」
「……よく考えたら、どっちも見えたらまずいであります」
「初夏の暑さに負けるな、生駒」
「幻覚、そう、なのかなぁ」
 夏の幻。
 僕はまだそれを、知らない。


「あ、バス来てる!」
 他愛もない話を、僕にとっては他愛ありまくりな状況で繰り広げている間に、僕と生駒は校門前に停車しているバスを発見した。そういえば、生駒はバス通学だったっけ。
 僕は自転車通学だから、無責任に羨ましいとは思った。涼しいんだろうな、あの中。
 僕がエナメルバッグを抱え直すと、生駒はバスを気にしながらこちらを向いた。スカートが、ふわっ、と翻る。
「副部長さんはなにで通学してるでありますか?」
「え、僕は―――」
 僕は……
 僕はエナメルバッグの外側のチャックを開けて自転車の鍵を取り出そうとして、その手の動きを止めた。
「ぼ、僕も、バス」
 潔いまでに堂々と嘘をついた。
 ま、正しい判断だと思う。
 その後僕たちは、急いでバスに乗り込んだ。いきなり走ったおかげで息が荒い生駒はかわいい以上にそそられる―――などと思ったりはしない。乗り込む際、生駒は定期のようなものを使って乗車していたが、あいにく僕にはそんなものはない。小銭で支払う僕を不思議そうに見つめる生駒に、定期を忘れたんだ、と言い訳をしようとしたのだが寸前で却下。普段は体を鍛えるために自転車で通学してるんだけど、今回はたまたま、という中々に勇ましい理由でとりあえず着地させた。嘘をついているという罪悪感にさいなまれながらも、僕と生駒は今、同じバスの隣の席に座っているのだ。
 たとえ閻魔に舌を引っこ抜かれようとも、釣り合いのとれる状況なのではないだろうか。というか、もうこれからはバス通学に変更しよう。生駒のためならたとえ火の中水の中、バスの中、あわよくば胸の中、だ。うまいこと言った。

 バスに揺られながら―――僕と生駒は他に誰もいないバスの中で、声を小さくして会話していた。
「生駒は、えっと……なんで今日、部活に?」
「えっ?」
「いや、ほら。斉藤たちは教室で喋っていたから……何かの当番だったのか?」
 そこまで言うと、生駒は困ったようにはにかんだ。その笑顔に僕はのけぞりそうになるが、なんとかそれを堪える。いやはや、腹筋を鍛えておいてよかった。
 生駒は髪先を揺らしながら答える。
「違うであります。なんというか、私、プールで泳ぎたくて」
「……泳ぐ?」
「あっ、大会に出られないのは分かってるんだけど……なにやったらいいか、分かんなくて」
 言って、生駒ははにかむのを止めない。ずっとプールと教室の行き来しかしてなかったであります、と独り言をつぶやく生駒の横顔はプールの水の潤いが残っているのか、つやつやしていた。指でつーっと撫でたい衝動に駆られないように、僕は悩むように腕をくむ。
「補欠になった連中で来てたのは、生駒だけだよ」
「……みんな、切り替え早いであります」
 バスが、ガタガタガタッと揺れる。何時間も泳ぎきったあとならば、眠気をさそうような絶妙なリズムなのだが―――タイム測定程度しかしていない今の僕にはただ、車酔いの危険を孕んでいるだけの鬱陶しいものでしかない。
 生駒は今日、泳いでいたのか。
 まだ終わってない。
 生駒の夏は、まだ……
「でも」
 生駒は目をひそめた。まるで見たくないものを見るような……いや、見るべきものが、見たくないものではないかと恐れているかのように、暗がりから明るみへ出るかのような危うさを隣接させた雰囲気を抱え、淡々と述べる。
「放課後のプールは、もうおしまいにしたのであります」
 閉店ガラガラ。
 生駒はシャッターを、閉め始めていた。
 夏の日差しが、届かないように。
「そう、なんだ」
「わ、私なんかがプールの一角を使ってると、もったいないであります。選抜メンバーさんに譲らないと」
「そんなこと、ないだろ……泳ぎたいやつが泳げばいい」
「いいのいいの、切り替えないとみんなに置いてかれちゃう!」
 ……いや、でも。
 そう言おうとしたのだが、僕は何を伝えるべきなのかが分からないでいた。プールにい続けることが正しいこととは限らない。プールから去ることが退行だとも限らない。それが生駒みなみの決断だとすれば、何も言えるはずもなかった……夏に終わりを告げるというのなら、それで。
「副部長さんは、どうするでありますか?」
「えっ」
 ……僕は。
 ……えっと。
 生駒のいないプール。
 泳ぐことのない自分。
 置いていかれる可能性。
 僕は……。
「……まだ、行くよ。どのみち副部長としての仕事があるからさ、それをやらないと引退もできない」
「そうなんだー、がんばってね、応援してるであります!」
「あ、ありがとう」
 生駒に応援された。
 普段ならガッツポーズを取って、気前よく帰りのコンビニで高いアイスでも買ってやるくらいの自分へのご褒美を出したくなるほど嬉しいことなのだが、今の僕は素直に喜ぶことができなかった。
 夏は……終わってしまうのか。
 僕は……終わらせたくなかった。
 だからさっきのはきっと、プールから去りたくない自分への言い訳、なんだろう。嘘なんかよりタチが悪い。それでも今年の夏が終わるということは、僕にとって、心の大多数を切り取られるような感覚があるからだ。
 夏を終わらせたくないんだ。こんなに胸が熱いのだから。


 その後は、取るにたらないような世間話をして車内を過ごした。胸にしこりがあるものの、未だかつてないほど生駒と会話し、生駒のことを知り、生駒に知ってもらえたのではないかと思う。もともと男子ともわけ隔てなく会話していた生駒のおかげで、会話もスムーズに続いた。むぅ。ありきたりだけど、生駒はかわいい。
 いくつかバス停を過ぎたところで、生駒は降車していった。この後どうやって帰るべきかを模索している僕に対して、生駒はバスを降りてからも外から手を振ってくれていた。つい涙腺が緩む。なんだこれ、まるで彼氏彼女みたいじゃないか。きっとこのバスの運転手はそう勘違いしているに違いない。勘違いだとしても、それでよかった。「運転手の世界」では、僕と生駒は付き合っているという設定なのである。きっと。もうそれだけで充分だった。むしろこの世界が、前にいる運転手を中心に回ってくれればいいのにとすら思う。
 僕は手を振り返そうとして、
「…………」
 また生駒の顔に、ほんの少し影が落ちていることに気づいた。僕は戸惑ったが、とりあえず窓を開け、外の生駒へと声をかける。
「あ、生駒!」
「……はい?」
 きょとんとした顔をする生駒を見て、僕はいったいなんて言えばいいんだと思考する。この胸のもやもやと、つっかかっている何か。手を振る生駒に言っておきたいことが、確かになにか……。
「…………えっと」
 なんとか頭を回転させて、とりあえず言葉を選び抜いた。
 夏は。
「夏は、終わらないから」
「え」
 僕は母親に通知表の成績を問い詰められた小学生のような、ごまかしきれてないのではという表情を浮かべながら、なんとか言葉を紡いだ。
「夏はまだ、終わらないよ。……いやほら、暦上では八月までだから。夏。」
 まるで説得力のない理屈を後ろにひっつけながら、僕はそれを説いた。
シャッターを閉めないでほしい。まだ客はいるのだ。
「……あは、そうだね」
 生駒のなんともいえない苦笑いを見て、僕はすぐさま窓を閉じた。何を言ってるんだこいつはと思われたに違いない……違いない……僕は生駒に見えないように頭を抱え、唸った。気がつくとバスは発車していて、窓の外に生駒の姿は見えなかった。ただ暗い色だけが、世界を雑に塗りつぶしているだけで。


「青春だねぇ、兄ちゃん」
 僕が窓の外をボーッと眺めていると、バスの運転手が微笑みを浮かべながら話しかけてきた。
「は、はぁ」
「がんばれよ兄ちゃん、片想いはつらいだろうが、めげたら……」
 …………。
 バレバレじゃないか。
 僕は再び頭を抱えて、唸った。
 うあぁ。
 あああぁ。
 センチメンタルな気分になりつつ、僕は生駒の温もりのある一つ隣の位置に移動しようかと思っていたことを運転手が見抜いていないことを祈りつつ、帰路も分からないまま―――とりあえず、バスに揺られ続けた。



「それでもよかった」


 桂木桂馬。
 僕と生駒がプールで見たあの幻にはいつのまにか、そんな名前がついていた。斉藤たちの持っていた「舞高騎士団名簿(ファイル)にも個別で掲載されている、学校でも有名な生徒らしい。確か、極度のゲーマーとかそんな噂を聞いたことがある。学校でも何度か見たことがあるが、確かに端整な顔つきをしていた。まるで女の子のような、むしろ違和感すら漂ってくるかのような、現実から乖離した不思議なオーラのようなものを感じたのを覚えている。
 妖しい、と生駒は言ったが、まさにその通りかもしれない。
 斉藤たちは「舞校の変人代表・桂木桂馬」を気にしている生駒を、どうやら幾度となくネタにして彼女をからかっているらしい。あの日、バスで一緒に帰ってから、どことなく距離が縮まったのだろうか。生駒は前よりも僕に話しかけるようになってきていたので、そんな話も聞くことができた。
「あっこたちが、ずっとからかってくるのであります」
「なるほど、生駒が桂木先輩のことを好きだと思ってるのか」
「うん……たぶん」
 実際はどうなんだ?
 と、聞くことはできなかった。これは俗に言う失恋なのかもしれないが、僕はあの日バスで生駒と話をしたときから―――いや、プールで桂木先輩(らしき影)を眺める生駒を見たときから、微かに感じ取っていたのかもしれない。
 生駒みなみは、桂木桂馬が好きなのだ。
 僕は特に泣くことも、落ち込むこともなく、驚くぐらいあっさりとその事実を受け止めていた。いきなりでなかったからよかったのかもしれない。もしくは、実感できていないだけかもしれないが。
 僕は桂木先輩を独自に調査してみたが、他に類を見ないような「変人」であった。個人的には、変人では御幣がありそうな気はするのだが……なんというか「超人」といった感じだろうか。変というよりは、凄い。変なのはその「凄い」が向いた方向なのだろう。
 朝から昼休みまで、プリントを頭に乗っけたままゲームをしつつ授業を聞いているような人間なのだ。変であるが、それ以上に凄い。変というのは一般的な思考から見た場合であって、先陣を切った偉人の誰もが当初は変人扱いされたのと同じように―――彼もまた、前衛的なだけなのかもしれない。僕はそう思った。前衛的と言っても、桂木先輩のターンが回ってくるのがいつになるかは分からないが。
 桂木先輩が前衛的とするならば、僕はきっと保守的な人間なんだろう。世間的にどちらが無害かは明らかだが、どちらが魅力的かと聞かれたら、答えを聞くまでもないだろう。外れているから評価されないだけであって、桂木先輩のことを好きなクラスメイトはきっとたくさんいるに違いない。桂木桂馬は桂木桂馬だった。クラスメイトAなどという表現では絶対に表せない―――唯一無二の存在だった。どちらかというと、人よりも神に近いのではないだろうか。特異な神様もいるものだ。
 だから、生駒が桂木先輩を好きになるのも充分に理解できた。少なくとも特筆すべき取りえのない自分のような人間と比べれば、人としての重さが違うのだ。しかも、プラスチックでできた思春期の少年少女が付けたがる安易な装甲ではなく、金でできた、剥がれることのない重装備をしている。
 僕はこの旨を生駒に説明して、見事に「相談役」といえるような立場を手に入れた。我ながら、セコイ。それでもいい、これはもともと片想いなのだ。誰の恋路を邪魔しているわけではない、むしろ生駒にとっては嬉しいことのはずだ。僕のこの気持ちは生駒に取り付くための嘘でもなく本心であることだし。それでも、桂木先輩に対する話で生駒が笑顔になるたび、胸のどこかが毟り取られている感覚に襲われることは否定しないが。
 それでもよかった。
 いや。
 そうするしか、なかった。

 ある日、昼休みに斉藤たちの目を盗んで僕と生駒が作戦会議のようなものを行っていると、生駒が既に桂木先輩と接触していることが判明した。ある日の帰りに乗り込んだバスで、偶然隣に立ったのだそうだ。そのとき僕はきっと、プールで黙々と代表選手のタイムを測定していたことだろう。
「それで、桂木先輩、私のこと覚えてたであります!」
「えっ、あの、プールで泳いでた日のこと?」
「うん、『あの日に泳いでいたことは内緒だよ』って」
「そう……なんだ」
「意外でビックリしちゃったであります……斉藤とあっこに言ったら絶対色々言われるから、副部長さんにだけ」
 二人だけの。
 秘密の共有。
 こう言えば響きはいいかもしれないが……もはや生駒のノロケ話を聞いているだけの存在の僕は、彼女にとっての二人目としてカウントされているかどうかは定かではなかった。かなりビミョーな関係ではあるが、これを招いたのはひとえに僕の責任だった。なんでもいいから生駒の笑顔を見ていたい、そんな僕の弱さ故の自分勝手な願いのもとに、この関係は構築されている。それでも僕は自分の弱さを弾劾することはなかった。
 生駒との二人の時間。それを失くしたくなかったから―――そう、たとえ二人目としてカウントされていなくても、僕は。

 そんな生活の中で、気になることが一つだけあった。
 生駒は僕に桂木先輩の話をする中で、自分の思いというものを決して話さないのだ。今日の先輩はこうで、こんなことをしていて。状況と知った情報を羅列させるだけで話が終わってしまう。だから自分はどう思っているのか、そのことについて、生駒は口を割らなかった。きっと、意図して隠しているのではなく、
 気づいていないのだろう。
 自分の想いに。
 生駒は一度も桂木先輩のことを「好き」と言ったことはなかった。興味があるだけ。好きだからこそ興味を持っているんじゃないのかと僕は思うのだが、生駒は気づいていない……というより、知らないのだろう。生駒の「今日の桂木先輩」を聞けば聞くほど僕は、これは進展以前に恋として成立するのだろうか、と思っていた。
 でも。
 それはきっと、不幸ではない。
 片想いをしてみると分かるが、恋なんてものは、たとえ漫画やドラマの中で神秘的なものとして扱われていたとしても、それはどこまでいっても他人事なのだ。実際に恋をしている側からしてみれば、恋なんて迷惑なものでしかない。今の自分だって、生駒のことを好きな気持ちが消えてしまえばこれほど悩んだりはしないだろう。実らない恋に時間を使うなんて、できることならやめたいのだ。生駒は今のままでいい。というより、明確な恋というフィールドに生駒を放り投げることを僕はできなかった。決断できなかった。適当な理由を掲げてずっとごまかしていた。今でなくていい、また後でいい……そんなふうに、ずっと。



「ここはきっと」


 そんなふうに、ゆっくりと時が流れていた、ある日。
 僕は放課後、いつものように部活に向かって廊下を歩いていた。水着は持たず、体操着だけを所持して。プールに入らないのは規定事項だからと、最近はほとんどこうだ。
 すると中等部校舎の端にある自販機の前で、斉藤とあっこの二人がヒソヒソと話をしていた。
「ちょっと斉藤、お前、本当に心当たりなんているの!?」
「……い、いる、いるぞ?」
「ウソつけ!」
「じゃあ、あっこはどーなんだよ!男なんていないだろ絶対!正直に吐け!」
「……いるもん、きっと」
「いね――――じゃん!」
「なにやってんだ、お前ら……」
 僕が声をかけると、二人は同時に背筋を伸ばして驚いた。また何か変なことをやっているに違いない、と心の中で僕は思っていたが、それは的中していたようだった。
「それが斉藤のやつ、男がいないのに男がいるとか見栄張ってるのよ!」
「ちょっと待てぃ!そりゃおめーもだろ!」
「醜い争いだ……」
 二人はぎゃーぎゃー言いつつ、互いの頬をつねっている。仲が良さそうなのは一向に構わないのだが、とりあえずやめろ。恥ずかしい。
「……生駒はどうした?いつも三人組なのに」
「みなみは帰ったよ!カツタンだから、桂木先輩にゾッコンなんだろーね、男なんていないでしょ!」
「うわっ、桂木先輩の話題なつかしー、私すっかり忘れてたよ」
 ……勝手に人の恋を終わらせるな。
「とりあえず、お互いに見栄を張るのはやめろ!お前ら二人とも嘘ついてたなら、正直にものを言え!」
 説得力があるかどうかは、言った僕自身にも分からなかった。ただ、正論をふりかざすことしか。
「くっ……斉藤め」
「ちっ……あっこめ」
「醜い争いだ……ともあれ、ケンカはやめろ。さあ、きちんと『私に彼氏はいませんでした』と胸を張って言うんだ」
「胸を張る要素はどこにあるのよ」
 怪訝そうな顔をするあっこさんに同調して、斉藤も僕に叱責を飛ばす。
「そうだそうだ!お前だって彼女いないくせに!」
 むか。
 というか、ぐさ。
 僕はハートを抉られながらもなんとか笑顔を作り出した。落ち着け、事実じゃないか……ふりかざされた正論じゃないか。
「胸を張る要素はある。彼氏がいない宣言というのはつまり『私、高嶺の花すぎて、男の子が萎縮してしまうくらいかわいいのよ』宣言でもあるのだから」
「私に彼氏はいません」
「ウチにもいません」
 …………。
 張った胸をスライスしてやるべきかもしれなかった。
「僕に彼女はいません」
「張った胸をスライスしてやろうか!」
 ひどいものを見た!
 僕は発言者もといスライサーである斉藤の頭を叩く。
「なんでそんな嘘ついたんだよ、すぐバレるだろ」
「だって、七夕祭りが……」
 悔しそうにそう言うあっこさんは、鞄の中からプリントを出してきた。少し前に配布された、舞島市七夕祭りの案内である。
「もうそんな時期なんだな」
「無責任だな!女の子にとってはこの七夕祭りは、家族なんかとは軽々しく行けない重大イベントなんだよ!彼氏と行きたいんだっつーの!」
 もはや鬼気すら迫る斉藤の怒りを聞いて、僕は、

なぜか、

嫌な予感がした。

「かれし……」
「そう、彼氏!彼氏と行きたいの!男のあんただって、かわいい女の子と行きたいでしょ?だから……」
「いつだ!?」
 キョトンとする二人を、僕は気にせず、七夕祭りの用紙を指差して問いただした。日付。スケジュール。
 誘わなきゃいけない。
 生駒を、誘わなきゃいけない。
 そう思ったから。
「え、と、今度の土曜と日曜日」
「……そっか」
 生駒は帰った。斉藤はそう言っていた。
 …………。
 僕は悩まなかった。ただ、急がなければということだけは漠然と感じていた。生駒は帰った。そうだ、バス。左手の腕時計を確かめる―――4時35分、次のバスまで5分くらい……か?きっと校門前のバス停に生駒はいるはずだ、今から行けば、間に合うかもしれない!
「分かった、ありがと!」
 僕はそう言い残して、その場をすぐに離れて走り出した。階段を駆け下りていく。荷物は自販機の前に置きっぱなしで、とにかく急いだ。一段飛ばしで階段を降り、教師に見つからないように廊下を走る。時計を気にしながら玄関へ向かい、靴だけは履き替えて外に出る。プールで桂木先輩を見かけたあの日、生駒が乗り込んだバス停へ―――一目散に走っていった。
「いこま……!」
 しかし―――間に合わない。僕の目の前で、生駒を乗せたであろうバスは発車してしまった。僕は息を切らしながら、なんとか止められないだろうかと模索するが……いい案は見つからない。
「くそっ……」
 歯をかみ締めながらそうつぶやくと、ふと、ポケットの中に鍵が入っていることに気づいた。自転車の、鍵だ。荷物は置いてきたが、財布と鍵は常に携帯している僕はそのことを思い出すと、すぐさま方向を転換して、駐輪場へと向かった。
 自転車で、追いかける!
 細かい理屈の話はむしろ、僕がしてほしかった。
 込みあった駐輪場から自転車を引っ張り出して、すぐに漕ぎだしてバスを追った。生駒と乗った日の後も何度か乗車したので、通るルートは大体覚えている。僕はとにかく足を動かして、バスが通ったであろう道を進み続けた。
 何を、やっているんだろう。
そう思わないことはない。
 それでも僕は漕いだ。
 夏の幻。
 僕にとって生駒は、夏の幻だった。
 生駒との今の関係は、偶然から生まれた、奇跡のような関係で。
 幻で。
 掴まなければ、すぐにするりと手のひらから抜き出てしまうような、そんな気分に満ちていた。
 七夕祭りに、誘わなきゃいけない。
 生駒を掴んでいるために。
 いや。
 今の幻を、まだ見続けるために。
 片想いでもいい。
 報われなくてもいい。
 魅力的でなくてもいい。
 辛いことばかりでもいい。
 幻でもいい。
 僕はまだそれを見ていたかった。逃したくなかった。
 いつか。
 幻でなく、現実にするために。
 何もしてない。
 僕は、何もしてないじゃないか。
 そう思いながら、自転車を漕ぐ。
 漕ぐ。
 漕ぐ。
 信号は、無視していたかもしれない。車からクラクションを鳴らされていたかもしれない。漕がれている自転車もきっと、もっと大切に扱えと思っているかもしれない。
 それでも。
 焦っていた。
 嫌だった。
 七夕祭りに誘うんだ。
 生駒を。
 早く。
 早く。
 桂木桂馬より、早く―――。


 見つけた。
 息も切れきれで、疲労困憊になってしまった僕の視界についに、バスが入った。どこかのバス停で停車している。僕は安堵の息をつきながら、今乗っているこの自転車をどうしようかと、いまさらそんなことに気づいた。しかし、現在停車しているバス停で誰も乗り込もうとしていない以上、すぐにでもバスが発車してしまうかもしれない。そう悟った僕は、ごめんと謝りながら、自転車を捨てた。猫じゃらしを追う猫のように一目散に、バス停に走っていく。後ろで鍵もかけずストッパーも止めなかった自転車が、横転して無残にも車輪を空転させる音が聞こえるが―――聞こえるが、聞こえていなかった。
 早く。
 早く。
 桂木桂馬より、早く。
 
 バス停まで走った僕は、運転手に目線を送ってから呼吸を整える。マラソン大会でもこんなに必死になったことはなかった。そしてポケットから財布を取り出し、ええいままよ、千円札を取り出して支払いの準備をして乗り込もうとした。
 すると。
 ちょうどそのタイミングで、一人の男子生徒がバスから降車してきたのだ。
 乗り込もうとした僕とすれ違う。
 見間違えたりなどしない。
 人より神に近いのではないかと感じた。
 降車したのは他でもない―――桂木桂馬、その人だった。
「っはぁ―――、はあっ」
 喉を乾かし、汗をかき、息を荒げる僕の隣を、桂木先輩は通過していった。僕はバスに乗り込むのも忘れ、歩き去っていく先輩の背中をずっと眺めていた……桂木先輩は降りるときも、全く僕を気にする気配はなかった。生駒と一緒に先輩観察をしたこともあったのだが、見つかってはいなかったのか。
 もしくは。
 見つけていても、気にかけていないか。
 桂木桂馬にとって僕なんてのは、登場人物ではないのかもしれない。
 そんなのはどうでもよかった。
 早く。
 早く。
 誘うんだ。生駒を。
 桂木桂馬より―――



 僕はまだ、何もしてない。



 バスに乗り込むと、以前、あの夜に乗り込んだときよりは人が多かった。前回と違い、今日は夕方なのだから当然か。その中から生駒を探し出すことは難しいことではなかった。僕は深呼吸をして息を整え、話しかける。
「生駒」
 話しかけられた生駒は、驚いているようだった。というより、呆然としている。こちらを振り返った生駒と目が合い、軽く会釈する。
「副部長さん、ど、どうしてここに?」
「今日は用事があって、部活休んだんだよ。が、学校から乗り込んでたんだけど、気づかなかったな、お互い。はは」
 また嘘をついた。
 場合によってはばれるかと思ったが、生駒は「は、はぁ」といったような気の抜けた返事しかしない。見抜かれてはいないようだ。僕は生駒の右隣のつり革を掴んで、隣に立つ。
 ……間に合った。
 誘うんだ。
 もう恥ずかしいもなにもない。酷使されたあげく使い捨てられた自転車のためにも、ここまでがんばった両足のためにも、誘わなければ。
 生駒、
 ヒマなら、一緒に七夕祭り行かない?

 夏の幻を、
 手に掴んだ瞬間だった。

「ヒマなら、一緒に七夕祭り行かない?」

 生駒が。
 僕より早く―――口を開いた。


「……え」
「そう、言われたであります」
 ……誰に、
 なんて、
 言えなかった。


 カツラギケイマ。
「桂木先輩が、私のこと見て――――」
 そこまで言って、生駒は顔を鞄にうずめた。ああ、にやけ顔を他人に見られたくないんだろう。
 でも遅いよ、生駒。
 そういうのはにやける前に隠さないと。
 僕には、見えたんだ。
「生駒」
 僕は、まだ微かに息を切らしながら言った。
「おめでとう」
 他に言うべき言葉が見つからなかった僕はとりあえず、そう告げた。生駒は鞄から顔を外し、頬を染めたまま、
「ありがとう、副部長さん」
 と告げた。
「嬉しいだろ」
「嬉しいっていうか、びっくり……」
「行くんでしょ」
「は、はいっ、今度の日曜日に……」
「もっと喜べばいいのに」
「喜んでるであります!……でも、うまく言えなくて。この、胸の奥があったかくなるこの感じ……初めて感じる気持ちなのに、ずっと前から、私、欲しがってた。そんな気が……」

 ああ。
 気づいてないんだろうなぁ。

 僕は揺れるバスの中で、遠くを見ていた……すると、海が見えてくる。毎日記録を測定しに行っていただけのプールとは違う、広い、広い海が目の前に広がってきた。
 狭い海。
 ここはきっと、どこまでも狭い海だ。僕は、そこにいる。
 生駒は?
 僕は気づいていたことを、理解させられた。やっぱり生駒は、片想いなどではなかったんだ。嫌な予感はしていたけれど、今回は確信的だった……僕の勘は中々するどいかもしれない。でもまあ、生駒の恋が成就するのに、不思議なことなんてない。
 生駒はこんなにも、かわいいのだから。
 十分じゃねぇか。
 生駒はもう、幻を掴んだ。
 この狭い海には、もういない。
 バスの窓の向こう、手を伸ばしても届かないそこに、広い海に、生駒は行ってしまったんだろう。
 正確には行っていない。
 生駒は行き方を知らないから。
 自分の想いの正体に、気づいていないから。


 僕は、自分のことを振り返る。
 何かしたっけ。
 何もしてない。
 がんばってみたけど、遅かったな。
 やりきった。
 悔いは残らない。
 そんなこと、あるわけがなくて。
 自転車のため、両足の疲労のため、そんな細かいことじゃなくて、ああそうだ、大好きな、生駒のために。
 僕は、まだ、何もしてない。
 僕は。
「生駒」

 僕は生駒に声をかけた。
 何かしなきゃな。
 このまま僕の中で、生駒みなみという夏の幻が消える。それでも、その話を、自分の中で誇れるように。生駒みなみに恋をしたこの物語を、いつまでも、胸の中では幻にしないように。
 何かしなきゃな。
 生駒の、かわいい、遠慮がちな、髪の毛をふわふわさせて、瞳をキラキラとさせて、僕の心に多大な影響を与える笑顔を失わせないために。
 何かしなきゃな。


「生駒」
「は、はいっ」
「それは……」

 それは。
 それは……。



「それは……恋だよ」



 どうすればよかったのだろう。
 正しかったのだろう。
 成功したのだろう。

 これでよかったのだ。
 これが正しい。
 これは、成功。

 そう言いきれる自信はない。確証もない。
 でもさ。



 恋。
「……そっか」
 窓の外を見上げて、生駒は僕の言葉を反芻した。
「私、恋をしているのであります」
 そう言った生駒の横顔を見てしまったら、僕は。

 狭い海。
 一人になれば、ちょっとは広く感じる。
 広くなくてよかった。
 狭くてよかったんだ。






 夕日に照らされながら、バスがガタガタ、と揺れる。そのせいで沈黙が訪れないバスの中で、眩しさに目をくらませつつ―――
 音も無く。
 僕は、静かに、泣いた。




つづく

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